メンタルの強さは、どうすれば得られるの、ということについて書いてみました。
そういう私も、「怖い」という理由で、
メンタルが、ごく普通にぐらぐらしていたときがあります。
この社会運勢学である気学を学ぶ前、
複数の占術を学んだり、個人的に先生の元に通ったりしていた頃でした。
しばらく講座に通っていると、
その講座内で
「変な動物の霊がきた」とか「占いをしている最中に変な霊がついた人がきて、なかなか取れなくて、
でも、なんとかやり過ごすことができた」、「生徒同士が呪いあって病気になったかもしれない」
という話がでてきたり、
「不倫はいいものよ」
と思い切り不倫を肯定したり、(不倫が悪いというつもりはありませんが、先生が推奨するのはどうか?と考えてしまいました)
「わけのわからないものはいる」
と怖いお話がよくありました。(その排除の仕方のレクチャーはもちろんありません💦)
おまけに、その教室で知り合った生徒さんまで、自宅でのポルターガイスト的ないろいろな霊体験についてわたしに話をしてこられます。
好奇心もあるし、自分のことではないので、
なんとなく興味津々で聞いてはいたものの
なんだかだんだん怖くなってきたのです。
この世には自分にはどうにもできないことがある、
こういう占いの勉強をしていると、人のさまざまな悩みや苦しみにふれることもあるからそういう存在がいて、出会うこともあるかもしれない、
そういう怖いものから身を守るにはどうしたらいいんだろう‥‥
そういう想いがだんだん強くなっていきました。
これってなんとなくの不安=メンタル的にぐらぐらしている状態かもしれません。。。
ちょうどその頃、この流派の師匠、村山先生のことをインターネットでたまたま見かけて、
勇気をだし、そちらの気学塾に脚を運びました。
そこで最初に覚えたのが日盤吉方です。
毎日、その人にとっての吉方位に出かけて、吉を取る方法ですが、
これをやり始めて、
今まで感じてきた、なんとなくの恐怖感や見えないものへの不安がどんどん無くなっていきました。
この気学では、その基本の教えの中で、霊をみるな、と教えますが、それもとても良かったのだと思います。
日盤吉方では、その吉方位に行き、
吉の九星のラッキーを探すというテーマがあります。
あくまでも私の考えですが、
怖いもの見たさや、人の粗探し、悪口や、
呪いなどについて興味をもったり、
そういうことを話したりすることでその人自身の波動が下がり、
霊を引き寄せたりすることもある、と思うのです。
そういうことを仕事にしている一般的な占い師にもつきものな話だとも思います。
娘も少し霊感があるのですが、怖いものが好きで、生霊につかれているかもと言って、霊能者にみてもらったりはずしてもらったこともありますし、
いろいろと親としては心配でした。
ですが、わたしが気学を生活に取り入れるようになってからあまり夜中に怖いテレビを好んで見たりすることもなくなり、
植物を育てたり可愛がったり、怖いものより自然の変化により興味をもつようになりました。
みえないものより、いま見えていることから判断するのがこの流派の気学の特徴なわけで、自然により興味をもち
その自分自身の生命力である気がどんどん強まることによって、
生きる波動も上がっていったのではないかと思っています。
波動が上がると、霊は波動が低いので、出会うこともなくなるとスピリチュアルでも学んでいます。
普通に生きていたら、
人はどうしてもマイナス要因、起こる出来事の中にいやなこと、気分の悪かったこと
などの方へと、気持ちが引っ張られます。
それを気学は、孔子の教えとして九星の意味を学ぶことで、
一見マイナスに見えることの中にも
良いことや、見えていなかったその人の裏の思いやりや日常の些細な幸せがあることに気づいたりできるような思考の仕方に少しずつ変えていくわけです。
上級のコースの中で、気学を学び続けると、宇宙とつながると、学びますが、
怪しい霊とつながるのではなく、宇宙や高次元の存在とつながるのは守られていることが感じられて嬉しいですよね。
私のスピリチュアルの先生も、霊を見るのではなく高次元とつながる方法を教えて下さっているのでその勉強も今、楽しく学べています。
もし、毎日が楽しくないとか、
何かに振り回されているのだとしたら、
身の回りにあるたくさんの些細なラッキーなことや、
幸せにフォーカスする力が
なんらかの落ち込みや苦痛によって
削がれてしまっているのかもしれません。
気学はそういうものの受け取り方をプラスにして、生きる力を上げる、メンタルを強くしていき、生命力を上げていける学問だと、私は考えています。